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CAMBRIDGE MBA - GO to CAMBRIDGE MBA -
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今夏からManchester Business School(イギリスで2番目に創設されたビジネススクール)に入学する友人がケンブリッジを訪れてくれました。
こうして友人が来ると、ケンブリッジの主要な観光スポットを案内して廻るのですが、実はこの案内もとい散歩は私自身も結構楽しんでいるのです。

1年住んでいるとはいえ、ケンブリッジ自体をゆっくり見て廻る機会は意外やそれほど多いわけではありませんでした。
幸いにして1、2ヶ月に1度程度、色々な場所から友人が訪れてくれるので、その度にこの素晴らしい街をまじまじと観察する機会を得ることができる、というわけです。

イギリスは天気が変わりやすく、その分この街が見せる姿もまた様々と言えます。
晴れの日には晴れの日の、曇りの日には曇りの日の、雨の日には雨の日の、とそれぞれがそれぞれの美しさを持っている。

今回は青空の美しい晴れ模様。
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この記事のURL | 2009.07.27(Mon)17:43 | Cambridge Life | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
ふと思い立って、BENIHANA Piccadillyにクラスメートを連れて行ってきました。
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BENIHANAはいわゆる「ジャパニーズ"スタイル"」の鉄板焼レストランチェーン。
約40年ほど前に日本人実業家がNYマンハッタンに開いた BENIHANA of TOKYOがその始まりで、以降、北米のみならず欧州、アジアにも展開する一大企業になりました。

その過程はHarvard Business Schoolのイノベーションケースに取り上げられるなど、注目を浴びています。
残念ながらCambridge MBAで当該ケースを扱うことはありませんでしたが、対外要因であるエンタテインメント性、対内要因である高効率なオペレーションを経験することができました。
特に目の前で優れたパフォーマンスを見せてくれるシェフのトレーニングにはかなりの時間がかかりそうですね。
そういう意味では、マクドナルドの従業員と違って、誰でも良いというわけでもなく、従業員一人当たりに対する投資も他のチェーンに比して大きいはず。
その分をカバーするためにオペレーションが洗練され、回転率を上げる、という仕組みが出来上がったということでしょうか。
今度HBSのケースでも読んでみよう。

夜はクラスメートがディレクターを務める劇団がロンドン公演をするということで観に行ってきました。
090725 comedy
会場はCamdenにあるパブの2階、こじんまりとした小劇場。
公演も面白かったのですがこのCamdenという地区もまた面白い。
ゴスロリ衣装専門店(看板には日本風の漫画キャラクターがデカデカと描かれていた)など、一風変わった店、良く言えば前衛芸術的な店、が多く立ち並び、怪しい雰囲気です。
アートの街、というのが同行したロシア人クラスメートの感想ですが、私には形容が難しい。

ケンブリッジに住んでいることもあって、ロンドンにはまだまだ知らないものが多い。。。

この記事のURL | 2009.07.26(Sun)13:53 | Cambridge Life | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
これまでYoutubeにおいて、" Where the Hell is Matt?"のようにスマッシュヒットを飛ばす動画を沢山見てきましたが、今回ほどYoutubeの持つインパクトを感じたことはありませんでした。

BBCやCNNなども取り上げている、今話題の動画がこれ。

簡単に言えば、Dave Carrollというミュージシャンがユナイテッド航空に搭乗した際、テーラーメイドのギターをぞんざいに扱われて壊された、しかもその後の対応があまりに酷かった!、というもの。
詳細なストーリーはこちら
あまりに腹に据えかねたのか、彼は今回の話を歌にして、Youtubeに動画をアップロードしたわけです。
そして僅か10日間でのべ350万人が視聴し、そのPR効果によってユナイテッド航空の企業価値が100百万ポンド(約160億円)以上吹っ飛ぶという驚きの結果を産みました。
この影響を受けて、ユナイテッド航空はDave Carroll氏に補償金1500ポンド(約24万円)を支払うことにし、さらにこの動画を従業員教育の為に使用し、サービス向上を図ることにしたそうです。

Dave Carroll氏のアイデア勝ちですが、Youtubeの力をまざまざと見せつけられた感じがします。
Youtubeに限らず、これだけインターネットが普及すると、企業サービスへの評価が、従来の口コミに比べて、あっという間に世界を駆け巡ることになるわけで、企業による提供サービスの質向上が一層進みそうです。
一方で、悪意の情報操作による弊害もまた大きいことは事実であり、情報を選別する力も求められることになりますね。

この記事のURL | 2009.07.23(Thu)09:06 | Others | Comment : 02 | Trackback : 00 | 
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十色会(ケンブリッジ大学所属の日本人学生・研究者のコミュニティ)の今年度最後の集まりとして、ダーウィンカレッジでガーデンパーティーが催されました。

生憎すっきりしない天気で、途中からバケツをひっくり返したような大雨に見舞われることになりましたが(上の写真では晴れているように見えますが、そこはイギリス天気です)、日頃なかなか一緒になることのない方々との交流の時間を楽しみました。
この大雨は、近々日本へ帰国してしまうメンバーに対して、ケンブリッジの空が惜別の涙を流したのかもしれませんね。
皆、水も滴るイイ女、イイ男ばかりになってしまいました。。。

この記事のURL | 2009.07.19(Sun)23:20 | Cambridge Life | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
歴史的な美術品がどの国家に帰属するか、ということは非常に難しい問題です。
そのことを改めて思い起こさせてくれる都市、アテネ。
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ご存じ、パルテノン神殿など、古代ギリシャの美術品が多く現存します。

ギリシャと大英博物館の間である諍いが起きていることをご存じでしょうか。
「パルテノン・マーブルズ」もしくは「エルギン・マーブルズ」と呼ばれるギリシャ時代、パルテノン神殿の彫刻群の所有権問題がそれです。
Elgin_Marbles_east_pediment.jpg ←wikipediaより

詳細な経緯については以下wikipediaより転載します。

前5世紀、古代ギリシア・アテナイの丘に立つパルテノン神殿が修築された。エルギン・マーブルは、この神殿に彫り込まれていた諸彫刻のことを指す。1800年、イギリスの外交官であった第7代エルギン伯爵トマス・ブルース(8代伯の父)が、オスマン帝国駐在の特命全権大使としてイスタンブルに赴任すると、このパルテノン神殿の調査を始めた(当時のギリシアはオスマン帝国領である)。神殿彫刻に関心を抱いたエルギン伯は、当時のスルタン・セリム3世から許可を得て、多くの彫刻を切り取ってイギリスへ持ち帰った。当時のオスマン帝国はナポレオン率いるフランス軍のエジプト遠征を受けた直後であり、このフランス軍を撃退したイギリスと良好な関係にあった。19世紀前半、ロマン主義の風潮が高まる中で、エルギン・マーブルがイギリスで公開されると、多くの人々の古代ギリシアへの憧憬を高めさせた。
1970年代になると、ギリシア政府はイギリスにエルギン・マーブルの返還要求を強めた(その先頭に立った文化・科学相のメリナ・メルクーリは、映画女優としても有名である)。しかしながら、両国の見解はすれ違ったままである。


そして、ギリシャが大英博物館に対抗すべく、威信を掛けて建設したのが、新アクロポリス博物館。
今年6月にオープンしたばかりの新築ホヤホヤです。
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床は透明なガラスで覆われ、地下のアクロポリス遺跡を見ることができ、館内も神殿を模した柱が立てられ、彫刻群がかつて神殿を彩っていた頃のように配されている、素晴らしい博物館。
この博物館開設の背後には、ギリシャの並々ならぬ意志が見受けられます。

共同通信によれば、

新博物館では、持ち出された彫刻のレプリカをつくり、ギリシャに残った彫刻と並べて設置。しかし、経年変化で茶色に変色したギリシャの彫刻に対し、レプリカはわざと真っ白なままにしてあり、返還が実現しないことを強調している。

しかも、面白いことに、フランス通信社(AFP)によれば、大英博物館から当該彫刻群の『貸出』の申し出があり、ギリシャ側はこれを固辞した、ということです。

大英博物館の広報担当ハンナ・ブルトン(Hannah Boulton)氏は10日、ギリシャのラジオ局に、「パルテノン・マーブルをギリシャに3か月間貸し出すことは可能」と述べた。その上で、「ギリシャはパルテノン・マーブルの所有権が大英博物館にあることを認めなければならない」ともクギを刺した。これに対しサマラス文化相は声明で、申し出を受けることは文化財の「強奪」を法的に容認することになると述べ、申し出を拒否した。
・・・
サマラス文化相は5日、大英博物館がパルテノン・マーブルを返還するなら、展示されていた「空間」を埋めるために古代ギリシャのほかの遺物を貸し出す用意があると発言していた。


ギリシャ側、大英博物館側、どちらの主張に理があるのか判断することは難しい。
大英博物館側の主張は、「オスマン朝の混迷期、ギリシャ独立過渡期といった混乱の最中にあって、大英博物館(イギリス)以外の誰がこの貴重な彫刻群を現代まで保存し得たか?」というものです。
一方、ギリシャ側の主張は、「パルテノン神殿を始め、古代ギリシャ文明を産んだのはギリシャの地であり、現・ギリシャ共和国がその美術を保存、後世へ伝える責務・権利を有する」というものです。

一見すると、大英博物館側の主張は「掠奪者の言い分」に感じられ、ギリシャ側の主張の方が"なんとなく"理にかなっているような感じがするかもしれません。
しかし、果たしてそうでしょうか?

そもそも、ギリシャ=古代ギリシャという構図は正しくありません。
また、現代国家A(ギリシャ共和国)が古代国家B(古代ギリシャ)の地を現在占有しているから、古代国家Bの美術品はすべて、現時点で現代国家A領内にあるもの、領外にあるものを含めて、現代国家Aのものである、という論理は「占有者の言い分」であるとも言えます。

たとえば、元は大都(現在の北京)を中心とした中国史上の王朝ですが、実際には漢民族の南宋を侵略したモンゴル民族の国家であり、中華民主主義人民共和国の前身と見るべきか、モンゴル国の前身と見るべきかは定かではありません。
つまり、元王朝時代の美術品の帰属もまた、本来は定かにはなり得ないものと言えます。
また、同じトルコ系民族が築いたセルジューク朝と現在のトルコ共和国についても、オスマン朝とトルコ共和国はまだ歴史的持続性があるのでまだしも、セルジューク朝は持続性もなく、また国家として全く別のものと考えるべきであり、セルジューク朝のものはすべてトルコ共和国のもの、ということにもなり難いでしょう。

その点で考えると、日本の特殊性が際立ちます。
日本は大和朝廷以降、天皇制という点で一貫した王朝が存在しており、世界でも稀有な例です。
鎌倉・室町・江戸等の幕府は、形式上、天皇制下における一官位である征夷大将軍を長とする組織に過ぎません。
従って、日本の美術品は日本に帰属する、ということはできるでしょう。
もちろん海外の美術館に多数の日本産の美術品が存在しますが、他国に征服されたことのない(敗戦によるアメリカ統治をのぞき)日本の場合、美術品の多くは略奪によらず、輸出・贈呈などのプロセスを経て流出したものと考えられます。
また、韓国併合以降の韓国植民地化、太平洋戦争期の短期間の東アジア占領といった近代の事例を除けば、文化が育つほどの長期に渡り海外領土を保有したこともないので、諸外国と美術品の帰属を揉めることもほとんどないでしょう。
古代における例外として、強いて挙げるならば、任那の例があるかもしれませんが、統治の事実があったか否か真偽が定かではありません。


ギリシャと大英博物館のやり取り、今後も見守っていきたいと思います。

この記事のURL | 2009.07.17(Fri)22:36 | Others | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
オスマン朝の史跡などを見て回った後、オリンピック航空でアテネへ移動。
当初直接イギリスに戻るつもりでしたが、昨年のアテネ大暴動からほとぼりが冷めてきた感があるので、アテネ経由で帰国することにしました。

オリンピック航空はギリシャのフラグシップエアラインでもある為、当然格安航空会社ではありません。
留学中の旅行は専ら格安航空のEasyjetとRyanairを使っていたので、非格安航空は久しぶり。
改めて比べてみると、格安航空会社達のやったことがより際立って見えます。

今回オリンピック航空に乗って、「おや」と思ったことは以下の点。
・時間になってもゲートに来ない搭乗者の呼び出しをする
・座席間隔が広い
・座席のリクライニングが出来る
・座席位置が指定されている
・軽食・ドリンクが"タダ"で提供される
・新聞が"タダ"で提供される
格安航空を利用したことがない人にとっては、当たり前じゃないの、と思えることですが、格安航空に慣れた身としては逆に違和感を覚えてしまいます。
相当EasyとRyanに毒されている証拠ですね(笑)

特に感じたのは、軽食・ドリンク。
飛行機に乗る前に夕食を済ませていたのと、ミネラルウォーターを買って持ち込んでいたこともあり、「軽食出されても食べられないなぁ」という状況でした。
090715 Olympic Air
新聞にしても、ギリシャ語の新聞なんて読めるわけもないので、渡されても即ゴミ箱行き。
「付帯サービスは要らないからその分キャッシュバックしてくれれば…」、まさに格安航空の発想ですね。

日本の規制まみれの業界では到底現れ得ない業態なので、その代わりに東アジア圏内で同じようなビジネスが益々発展すれば inter-Asia の民間レベルでの交流も益々盛んになることでしょう。
その場合、日本における離発着空港はどこになるべきなのだろうか。

成田?格安航空の空港が都市から遠いのはお約束ですが、成田の場合、東京から中途半端に遠い上に、利用料高、離発着枠満席ということで、先ずあり得なさそう。

羽田?まだ現実的ではありますが、離発着枠の問題は依然としてあるし、政府の羽田拡張への予算が僅か60億では早期の空港機能整備は見込めそうにありません。

では、さて、どこだ?
開港したばかりの静岡空港?
近々開港するであろう茨城空港?
なるほど、こういう時の為に血税をバンバン使って意味のない(ように見える)空港を作っていたのか…、そんな馬鹿な。
空港しかり、リニアのCルート問題(Cルートなど論外だが)しかり、日本の利権絡みの話にはいい加減うんざりですね。
愚痴になってしまいました。

この記事のURL | 2009.07.16(Thu)18:56 | Others | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
2日目の今日は、ビザンツ特集。

アヤソフィア。
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ビザンツ様式とイスラム様式が混在(正確には、ビザンツの上にイスラムを上書きしているわけですが)している様は一種独特な雰囲気を漂わせています。
聖母子像のモザイクとイスラムの説教壇が1枚の写真に収まる空間は他にそうそうないでしょう。
ビザンツ期のモザイクが大変美しい。
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さらなるビザンツスポットとして…

コンスタンティノープル総司教座
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観光客は1人もいない住宅街の中にポツンとある上、案内板もなにもないのでかなり探し回りました。
途中靴磨きに捕まって、道案内のバーターで10TL(靴磨き代として)払う羽目に。
現地の高校(or 中学?)の敷地内にあり、予想外にこじんまりとしています。
しかし内装や壁画は美しさが凝縮されています。

カーリエ美術館
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修道院がそのまま美術館になっています。
総司教座同様、こちらも住宅街の中にありますが、どちらかというとスラムに該当する地区かもしれません。
美術館自体は観光客でごった返していましたが、皆観光バスで乗り付けているようで、歩いて行ったのは私くらいのようです。
実はアヤソフィアよりもここの壁画群に対する感動の方が大きかった、これは予想外。
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すぐ手の届く位置のモザイクも素晴らしい状態で保存されているので、色彩の鮮やかさがより美しく見えます。

テオドシウスの城壁
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難攻不落を誇った城壁ですが、今は胡散臭い(と言ったら失礼か)おっさん達のたまり場のようになっていて、非常に怪しい雰囲気がプンプンしています。
長居をするのは気が引けたので、バスの上から写真を撮るに留めました。


夜は、お約束、ダンスショーのあるレストランへ。
たまたまアヤソフィア前の公園で親しく話をしたパキスタン人の夫妻と、「ダンスショーでも観に行こう」ということになりました。
夫妻の3人の子供達がイギリスのランカスター、リヴァプール、ニューキャッスルに留学しているということで、同じくイギリスに留学している私に強い親近感を抱いてくれたようです。
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旦那さんが案内してくれたレストラン、結構大きなホールを持っている立派なところで、しかも値段はさほど高くない。
しかもステージ近い席が取れた。
すると何故か、国籍を聞かれたので答えると、テーブルにパキスタンの国旗と日本の国旗が置かれます。
見渡してみると、他のテーブルにも、ギリシャ・アメリカ・ドイツなど各国旗が並んでいます。
もてなしかなにかの意味なのだろうか、と思っていたのですが、まさか後であんなことになるとは。

さておき、この時にギョッとしたのは、なんとまぁ日本人観光客の団体さんの多さ。
おそらくホールの約1/4は確実に日本人勢で占められています・・・。
隣の席のアメリカ人が「おいおい、ここは日本食レストランかよ」と笑っています。いやはや。
最近は中国人観光客の数が急増しているという話を聞いていましたが、日本人観光客はまだまだ多いようです。

ダンスショーはなかなか見応えある内容で、情熱的なもの、躍動的なもの、コメディなもの、様々。
ベリーダンスのあの腰の動きは、見ていてこちらの腰が痛くなりそう。
ダンサーは腰痛大丈夫なんだろうか。

と、一通りダンスショーが終わると、歌謡曲歌手らしき男性が出てきて
「今日は皆さん色々な国からお越しですね。折角ですから、皆さんの国の歌を歌いましょう!」
ふーん、なかなか趣向が凝っているなぁ・・・、と思ってぼんやり見ていると、なにやらツカツカとこちらに近づいてくる。
そして、
「では先ず、我が友JAPANより、ミスター・スズキ!」
あぁ、ここで国籍を判別する為にテーブルに国旗を置いたのか、なるほどね・・・。

え、なんで私を指さしてるの。だいたいスズキなんて名前じゃないぞ。
だいたい日本人が欲しいなら、周りにもたくさん日本人観光客が・・・、あれ?いない?
いつの間にか、日本人観光客団体かギリシャ人観光客団体に丸々入れ替わっています…。
ということは、なに、今まさに日本代表じゃないか。
そうなると、まぁ退くに退けないわけで、彼のリクエスト通り、「さくらさくら」「春が来た」を歌う。
これはアルコール入ってなかったら出来なかったでしょう。

歌手のおじさんも一緒に歌ってくれたのですが、歌詞をバッチリ覚えている上、発音も完璧。
もちろん、商売なのでそれくらい当たり前なのかもしれませんが、トルコと日本は草の根レベルでも関係がいいのかもしれない、なんてことを思ってしまいます。
エルトゥールル号遭難事件(1890年)から来年で120年。
この良好な関係が今後も続くことを願います。

とはいえ、道を歩いていて「日本人だよね?」と声をかけられる頻度の高さにはいい加減辟易ですが。
無償の好意なのか、有償の好意なのか、本当に真意を測りかねる・・・。

この記事のURL | 2009.07.14(Tue)23:59 | Travel | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
約15年振りのイスラム圏、トルコ・イスタンブール。
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立ち並ぶモスクの尖塔、鳴り響くコーラン、異文化圏に来たことを実感します。

最近はキリスト教文化圏の大聖堂や史跡ばかりを観ていたので、イスラム教美術が殊更に新鮮かつ美しく見える…。
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とはいえ、私にとってはオスマン朝のイスタンブールというよりも、ビザンツ朝のコンスタンティノープルというイメージが強いので、今日行けなかったアヤソフィアにも期待したいところです。
高校時に世界史を履修した人なら、「コンスタンティノープルの地に足を踏み入れた」というこの感動を分かち合えるはず(?)
ビザンツ朝に心ときめいたりは、普通しないかなぁ…。

感動といえば、食事の美味しさは、イギリス料理と比べて段違いに素晴らしい。ある意味当然ですが。
港に降り立ってすぐに口にしたサバサンドからして、驚きの美味しさなのです。
東西文明衝突の地、コスタンティノープル改めイスタンブール、食文明も良いとこ取りです。
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余談。
夕食の後、スルタン・アフメット・ジャーミィの前を通ってホテルに帰る時のこと。
突然トルコ人女性に声を掛けられた。歳の頃は20歳台半ばでしょうか。

「日本人ですか?」

この時に「No! I'm Chinese.」なりなんなり答えるかすればよかったのですが、前に回り込んで道を遮られたのでつい普通に答えてしまいました。そうすると、

「今日本語の勉強をしている」
「ほら、日本語の本だって持っているよ」
「日本に友人がいる」

と、まぁなんとも、「地球の歩き方」などのガイドブックに載っている「こういうことを言ってくる、日本贔屓を装う人には要注意!」というサンプルそのもの。
用心して財布とカバンはがっちりガードして、「時間ないから」とさっさと切り抜けることにします。
ところが、食い下がる、とにかく後をついてくる。
しかも、話が同じところをぐるぐる回り、「つまり何が言いたいの」と言いたくなるようなものでイラつかされる。
いい加減限界だったので適当な店に入って捲いて帰って来た。
本当に日本語の勉強をしていたのかもしれませんが、用心には用心を重ねたいところ。
「気をつけてね。日本人目当てのスリが沢山いるから。」と言っていたが、「お前さんは違うのかい」と聞いてみたかった…。


午後10時30分、またしても大音響で鳴り響くコーランを聞きながら。

この記事のURL | 2009.07.13(Mon)22:35 | Travel | Comment : 03 | Trackback : 00 | 
ケンブリッジ名物(?)の1つ、Duxford Imperial War Museum主催の航空ショーに行ってきました。
今回はタイトル通り、戦前・戦中の単葉機の展示飛行がメイン。
日本でも自衛隊による航空ショーはありますが、こうした旧時代の機体を展示することはまずないでしょう。
実際、零戦の展示飛行などやろうものなら左翼団体が黙っていないだろうし・・・。
一方ここでは、やはり戦勝国イギリス、栄えあるRoyal Air Forceを見ようと老若男女が詰め掛けるわけです。
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さすがに60年近く前の航空機なので、以前スコットランドで偶然見かけたユーロファイター・タイフーンのような高速かつ滑らかな機動ではありませんが、それはそれで味わい深いものはある。
パスンパスンという音と共に真っ黒な煤煙を吐きだすエンジンを見るにつけ、現代の内燃機関の発展ぶりを実感させられます。
当時は環境技術などほとんど顧みられなかったでしょうから、ショーの最中は環境汚染物質ダダ漏れなんだろうなぁ・・・。

単葉機で披露されるアクロバット飛行には、失速して真っ逆さまに落ちてくるのではないかとヒヤヒヤすることも度々。
途中、さらに古い複葉機まで登場して展示飛行をしていましたが、飛行というよりも風の中でフワフワ浮かんでいる、といった感じで、これもまた見ていて危なっかしい・・・。
何にせよ、日本ではそうそう見ることのできないものを見せてもらいました。

なお、このDuxfordでは、今回のショー以外にも今後以下のショーが予定されています。
Spitfire Day (8/9 Sun)
American Air Day (8/21 Fri)
The Duxford Air Show (9/5 Sat, 9/6 Sun)
Autumn Air Show (10/11 SUn)
おそらく一番大掛かりかつ、新旧織り交ぜた航空機を見ることができるのはThe Duxford Air Showでしょう。
興味ある方はぜひ。

行ったのは初日でしたが、翌日の最終日、実はカレッジの部屋からも展示飛行が見えることに気が付きました。
青空の市街地上空を轟音を響かせて戦闘機や爆撃機の編隊が飛んでいる、というのは本当に異様な感じです。
この記事のURL | 2009.07.12(Sun)12:44 | Cambridge Life | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
ドイツの都市の多くは、第2次世界大戦によって破壊され、戦後復興された経緯を持っています。
復興に際して、ミュンヘンを含め、ほとんどの都市においては、破壊される以前の姿、つまり昔ながらの石積み、煉瓦葺きの伝統的な建物をベースに再建されました。
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おかげで、今も歴史ある景観を維持し、観光客を惹きつけます。
一方で、フランクフルトはどういうわけかそういった配慮が復興時になされず、今見られるような現代建築に置き換えられ、歴史的な建造物の姿はほとんど見られなくなってしまいました。
もちろん、ドイツ、そして欧州の金融の中心としての役割を担う都市として機能的ではあるのかもしれません。
しかし、ドイツ人一般のメンタリティからすると、フランクフルトの景観は異端とされ、どちらかと言えば嫌われているそうです。

ここで日本に目を向けてみるとどうでしょうか。
京都では、駅ビルが市全体の景観を著しく損ねたという話や、平等院の背後の新築マンションが景観を保持する為に計画変更となったという話を聞きます。
概して、日本は歴史的な景観ということに対して、特に都市部で希薄であると言わざるを得ません。

しかし、私はある意味やむを得ない(これは決して肯定的というわけではありません)部分があるのだと思います。
というのも、欧米の石積み、煉瓦葺きの建造物は高層化(少なくとも3~4階)は可能であり、現代的な機能を保持しやすい一方、日本的な木造建造物は高層化に向かず、また、グローバルスタンダードである西洋型商工業施設の用途には適合しにくい。
また、根本的な問題として、石積み、煉瓦葺きの建造物が何十年、何百年の耐用年数を有するのに対して、木造建造物ではせいぜい30~40年といったところです。

こうした問題を踏まえて、いかに日本的な景観を保持、もしくは復活させるか…、日本が抱える1つのテーマと言えましょう。
ある外国人旅行者の話では、初めて日本を訪れ、京都駅に降り立ったその瞬間、とてもガッカリした、というのです。
なぜなら、その時彼の前に広がったのは、古都・京都ではなく、コンクリート・ガラスなどの現代的な建築に溢れたごく有り触れた景観だったからです。
もちろん、足を路地裏に踏みいれ、市街を歩き回ったならば、古都・京都の息吹を感じることはできるでしょう。
しかし、外国人観光客の多くは、特に英語の通じにくい日本においては、そこまでに至らず、現代建築に覆われた表層的な部分を見て、これが京都だ、日本だ、と感じて、ある程度の満足と失望を抱いてしまうのではないかと懸念しています。

情報ソースは失念しましたが、耐用年数の長期となる木造建築の販売を行政が奨励している、と言う話を聞いたことがあります。
結構な話ですが、実質的な耐用年数が長くなったとしても、20年、30年経った時点での残価値が市場(中古市場なり)で相応に評価されなければ、機能しないシステムのように感じます。
システムだけでなく、市況改革にも目を向ける必要がありそうです。

いずれこうした改良型木造建築で歴史的な都市が彩られ、外国人観光客を魅了する日がくるでしょうか。

歴史的景観を守るミュンヘン、ストリートミュージシャンも本格的です。
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グランドピアノ!?

この記事のURL | 2009.07.09(Thu)22:41 | Others | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
ドイツ・ミュンヘンに来ています。
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大学時代にお世話になったゼミの教授がミュンヘン大学に滞在中で、イギリスからの地理的な近さを利用して訪問した次第です。
彼は開発経済に造詣が深く、日本帰国後にゼミを再開する際には、グローバル化・開発・環境というトピックを掲げたいとのこと。
ちょうど私のキャリア上の関心事もまさに同様の分野なので、今後も末永くお世話になりそうです。

酒席での数多のディスカッションの中で、日本の大学環境における国際性の相対的な低さについて話が及びました。
国際性、というのは、学生・教職員に占める外国人比率の点、日本人学生間の海外志向度合の点、の主に2点。
外国人比率については、世界大学ランキングの結果からも分かる通り、未だ低い水準にあります。
もっとも授業の大半が日本語で実施されている以上、比率底上げは簡単ではないでしょうけれども。
海外志向については、理由は不明ながら、例えば海外交換留学などへの申請件数などはそれほど高くないそうです。
ただ、海外からの学生が増えれば、それだけ刺激や影響を受け、海外に出てみようと触発されることにはなりそうです。
海外に出ることの最大のメリットだと考えているのは、日本を外から見て、日本の素晴らしさや一方で「このままでは日本はヤバイ」という危機意識を得る、ということだと思います。

実際、学部生時代からこうした観念を広く持つことはなかなか容易ではありませんが、卒業してある程度のキャリアを積んだ後でも十分間に合うことです。
経済危機の影響で日本からの留学(MBA含め)数は漸減傾向にあるそうですが、逆の傾向となることを望みます。
その点、次年度のケンブリッジMBAの日本人数が15人前後となる見込み(現年度は7人)であることは大変喜ばしい。

この記事のURL | 2009.07.08(Wed)22:34 | Travel | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
9月からのジョブスタートを前に、健康診断を受診してきました。
ケンブリッジのAddenbrookesでも可能でしたが、コミュニケーションの容易さを重視してロンドン医療センターを選択。
まるで日本に帰国したかのような錯覚を覚える空間に思わず苦笑いしてしまいます。

折角ロンドンに足を伸ばしたので、Royal Academy of Artsで開催中の"J.W.Waterhouse, The Modern Pre-Raphaelite"を観覧。
Waterhouseは近代では最も好きな画家の1人です。
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この記事のURL | 2009.07.02(Thu)23:50 | Cambridge Life | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
スプリトからボスニア・ヘルツェゴビナ領を経由すること5時間のバスの旅、最終目的地のドブロクニクへ。
"アドリア海の真珠"と呼ばれ、ユネスコ世界遺産にも登録されている旧市街を持つ都市、本当に美しい。
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隣のスルジ山頂から、対岸のロクルム島から、街の全景を見渡して、まさに真珠の如き美しさに溜息しか出ません。
しかし、"真珠"という形容には小さな、儚い美しさという意味も込められているのではないかと思います。
ユネスコ世界遺産に登録されているものの、1991年に始まったクロアチア独立戦争(内戦)では多数の砲弾の雨にさらされ、今なお崩れた建物が放置されている区画もあります。
特に、スルジ山頂にあるロープウェー駅は内戦時に破壊されたままとなり、今は戦争記録の展示館になっています。
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当時の記録映像が放映されており、今自分が立っている場所に砲弾が降り注いでいる映像を目の当たりにすると、ドブロクニクの美しさがいかに儚く、そして現実にかつて危機に晒されたことを強く印象付けられます。
当時まだ10台になりたてだった私にとっては遠い国の話、むしろ何も知らなかったであろう戦争ですが、いかに日本が平和な国で、日本人にとって今や"戦争"が遠い存在になりつつあることを改めて感じます。

次の世代にもこの美しい遺産が継承されることを願ってやみません。
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この記事のURL | 2009.07.01(Wed)23:03 | Travel | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
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