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歴史的な美術品がどの国家に帰属するか、ということは非常に難しい問題です。
そのことを改めて思い起こさせてくれる都市、アテネ。
090716 Athens_1090716 Athens_2
ご存じ、パルテノン神殿など、古代ギリシャの美術品が多く現存します。

ギリシャと大英博物館の間である諍いが起きていることをご存じでしょうか。
「パルテノン・マーブルズ」もしくは「エルギン・マーブルズ」と呼ばれるギリシャ時代、パルテノン神殿の彫刻群の所有権問題がそれです。
Elgin_Marbles_east_pediment.jpg ←wikipediaより

詳細な経緯については以下wikipediaより転載します。

前5世紀、古代ギリシア・アテナイの丘に立つパルテノン神殿が修築された。エルギン・マーブルは、この神殿に彫り込まれていた諸彫刻のことを指す。1800年、イギリスの外交官であった第7代エルギン伯爵トマス・ブルース(8代伯の父)が、オスマン帝国駐在の特命全権大使としてイスタンブルに赴任すると、このパルテノン神殿の調査を始めた(当時のギリシアはオスマン帝国領である)。神殿彫刻に関心を抱いたエルギン伯は、当時のスルタン・セリム3世から許可を得て、多くの彫刻を切り取ってイギリスへ持ち帰った。当時のオスマン帝国はナポレオン率いるフランス軍のエジプト遠征を受けた直後であり、このフランス軍を撃退したイギリスと良好な関係にあった。19世紀前半、ロマン主義の風潮が高まる中で、エルギン・マーブルがイギリスで公開されると、多くの人々の古代ギリシアへの憧憬を高めさせた。
1970年代になると、ギリシア政府はイギリスにエルギン・マーブルの返還要求を強めた(その先頭に立った文化・科学相のメリナ・メルクーリは、映画女優としても有名である)。しかしながら、両国の見解はすれ違ったままである。


そして、ギリシャが大英博物館に対抗すべく、威信を掛けて建設したのが、新アクロポリス博物館。
今年6月にオープンしたばかりの新築ホヤホヤです。
090716 Athens_3090716 Athens_4
床は透明なガラスで覆われ、地下のアクロポリス遺跡を見ることができ、館内も神殿を模した柱が立てられ、彫刻群がかつて神殿を彩っていた頃のように配されている、素晴らしい博物館。
この博物館開設の背後には、ギリシャの並々ならぬ意志が見受けられます。

共同通信によれば、

新博物館では、持ち出された彫刻のレプリカをつくり、ギリシャに残った彫刻と並べて設置。しかし、経年変化で茶色に変色したギリシャの彫刻に対し、レプリカはわざと真っ白なままにしてあり、返還が実現しないことを強調している。

しかも、面白いことに、フランス通信社(AFP)によれば、大英博物館から当該彫刻群の『貸出』の申し出があり、ギリシャ側はこれを固辞した、ということです。

大英博物館の広報担当ハンナ・ブルトン(Hannah Boulton)氏は10日、ギリシャのラジオ局に、「パルテノン・マーブルをギリシャに3か月間貸し出すことは可能」と述べた。その上で、「ギリシャはパルテノン・マーブルの所有権が大英博物館にあることを認めなければならない」ともクギを刺した。これに対しサマラス文化相は声明で、申し出を受けることは文化財の「強奪」を法的に容認することになると述べ、申し出を拒否した。
・・・
サマラス文化相は5日、大英博物館がパルテノン・マーブルを返還するなら、展示されていた「空間」を埋めるために古代ギリシャのほかの遺物を貸し出す用意があると発言していた。


ギリシャ側、大英博物館側、どちらの主張に理があるのか判断することは難しい。
大英博物館側の主張は、「オスマン朝の混迷期、ギリシャ独立過渡期といった混乱の最中にあって、大英博物館(イギリス)以外の誰がこの貴重な彫刻群を現代まで保存し得たか?」というものです。
一方、ギリシャ側の主張は、「パルテノン神殿を始め、古代ギリシャ文明を産んだのはギリシャの地であり、現・ギリシャ共和国がその美術を保存、後世へ伝える責務・権利を有する」というものです。

一見すると、大英博物館側の主張は「掠奪者の言い分」に感じられ、ギリシャ側の主張の方が"なんとなく"理にかなっているような感じがするかもしれません。
しかし、果たしてそうでしょうか?

そもそも、ギリシャ=古代ギリシャという構図は正しくありません。
また、現代国家A(ギリシャ共和国)が古代国家B(古代ギリシャ)の地を現在占有しているから、古代国家Bの美術品はすべて、現時点で現代国家A領内にあるもの、領外にあるものを含めて、現代国家Aのものである、という論理は「占有者の言い分」であるとも言えます。

たとえば、元は大都(現在の北京)を中心とした中国史上の王朝ですが、実際には漢民族の南宋を侵略したモンゴル民族の国家であり、中華民主主義人民共和国の前身と見るべきか、モンゴル国の前身と見るべきかは定かではありません。
つまり、元王朝時代の美術品の帰属もまた、本来は定かにはなり得ないものと言えます。
また、同じトルコ系民族が築いたセルジューク朝と現在のトルコ共和国についても、オスマン朝とトルコ共和国はまだ歴史的持続性があるのでまだしも、セルジューク朝は持続性もなく、また国家として全く別のものと考えるべきであり、セルジューク朝のものはすべてトルコ共和国のもの、ということにもなり難いでしょう。

その点で考えると、日本の特殊性が際立ちます。
日本は大和朝廷以降、天皇制という点で一貫した王朝が存在しており、世界でも稀有な例です。
鎌倉・室町・江戸等の幕府は、形式上、天皇制下における一官位である征夷大将軍を長とする組織に過ぎません。
従って、日本の美術品は日本に帰属する、ということはできるでしょう。
もちろん海外の美術館に多数の日本産の美術品が存在しますが、他国に征服されたことのない(敗戦によるアメリカ統治をのぞき)日本の場合、美術品の多くは略奪によらず、輸出・贈呈などのプロセスを経て流出したものと考えられます。
また、韓国併合以降の韓国植民地化、太平洋戦争期の短期間の東アジア占領といった近代の事例を除けば、文化が育つほどの長期に渡り海外領土を保有したこともないので、諸外国と美術品の帰属を揉めることもほとんどないでしょう。
古代における例外として、強いて挙げるならば、任那の例があるかもしれませんが、統治の事実があったか否か真偽が定かではありません。


ギリシャと大英博物館のやり取り、今後も見守っていきたいと思います。
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この記事のURL | 2009.07.17(Fri)22:36 | Others | Comment : 00 | Trackback : 00 | 


 
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